手帳日記

41歳、息子のバスケ観戦で気づいたこと。体と心は正直で、少しずつ変わっていく

朝5時。アラームが鳴る少し前に、自然と目が覚めた。
もう少し眠っていたい気持ちもあるけれど、
薄いカーテン越しに光が差し込み、
その眩しさに背中を押されるように布団から出る。

最近、こうして早く目が覚めることが増えた。
若いころは、目覚ましが鳴っても起きられなくて、
何度もスヌーズを繰り返していたのに。
今は、体のリズムのほうが先に一日を始めようとしている。
ああ、今日も始まるんだな。
その瞬間、少しの切なさと、かすかな前向きさが同時に胸に灯る。

今日は、息子のバスケの試合。
昨日買ってきた試合用の軽食、保冷剤を入れた水筒を二本。
朝の空気はまだひんやりしているのに、
太陽の光はすでに強く、夏がもう近いことを教えてくれる。

会場に着くと、すでに体育館の中は熱気で満ちていた。
試合開始後、コートの上で走る息子の姿を見つけると、
胸の奥がぎゅっと熱くなる。
小さな体でボールを追いかけるその姿に、
あの頃の自分が重なる瞬間がある。
何も考えずに、ただ夢中で生きていたあの頃。

けれど、応援しているうちに、
自分の体の変化をはっきりと感じる。
立ちっぱなしの足の重さ。
熱気に包まれるだけで、汗が噴き出して止まらない。
去年の夏、熱中症になりかけたときの感覚がよみがえる。
それ以来、私は水分補給に慎重になった。
誰に言われたわけでもないのに、
体の声に自然と耳を傾けるようになったのだと思う。

「これも年のせいかな」「いよいよ更年期かも」
そんな言葉が頭をよぎるたびに、
少しだけ寂しくなる。
でも、それは悪いことじゃない。
変化を感じ取れる自分でいられること。
それが、きっと今の私の強さなんだと思う。

諦めると見えてくる新しい世界

40代になると、「失うことが増える」とよく聞く。
体力も、肌のハリも、時間の余裕も。
確かにその通りだと思う。
だけど、失うことでしか見えない景色もある。

たとえば、バスケ。
学生時代の私は、体育が苦手で、
「どうしてこんなことをやらなきゃいけないの」と
いつも思っていた。
それが今では、誰に頼まれたわけでもないのに、
自分から試合を見に行きたくてたまらない。
ボールを追う息子の姿がまぶしくて、
気づけば声を出して応援している。

「頑張ってるなぁ」
そうつぶやくたびに、
私の中の何かも静かに蘇ってくる。

昔の私は、誰かに認めてもらうために頑張っていた。
でも今は違う。
誰かのためではなく、自分の心が動くほうへ。
それが、40代の私の“がんばり方”だ。

諦めるというのは、投げ出すことじゃない。
余計な期待や無理を手放して、
「今の自分」をそのまま受け入れること。
そこに、ようやく自由が生まれる。

哀愁を彩る小さな幸せ

体の変化を認めるのは、少し切ない。
だけどその哀愁の中には、
確かにあたたかさもある。

今日も応援から帰ってきて、
体の芯に残る疲れを感じながら、
冷たい飲み物を一口飲んだ。
それだけで、生き返るような気がした。
そんな瞬間に、ふと「この感覚を残しておきたい」と思う。

夜、手帳を開いて、
息子のプレーを見て感じたことを言葉にする。
そこには、誇らしさと同じくらい、
少しの寂しさも混ざっている。
淡いブルーと紫のマスキングテープを貼りながら、
今日の空と同じ色に整えていく。

ページを閉じるころには、
心の中のざらつきが少しやわらいでいた。
書くことは、私にとって心を整える呼吸のようなもの。
言葉を置くたび、心の奥に風が通る。

40代、自分をいたわる時間

41歳。
体も心も、確実に変わっていく。
でも、その変化を怖がるより、
どう向き合うかを大切にしたいと思う。

体の声に素直になる。
心のサインを無視しない。
疲れたら休む。
頑張れない日を責めない。

若いころのように無理はきかない。
けれど、無理をしないことを覚えた今の私は、
たぶんあの頃よりもずっとしなやかだ。

家族のために動く時間も、
自分のために静かに過ごす時間も、
どちらも同じくらい大切。

小さなノートとお気に入りのマステを広げて、
今日の気持ちをひとつ書く。
そのたびに、日々がほんの少し優しく見えてくる。

年齢を重ねることは、
何かを失うことじゃない。
変わっていく自分を知ること。
そして、その変化を受け入れる勇気を持つこと。

それこそが、41歳の私が見つけた
“養生のかたち”なのだと思う。

今日も小さな養生を。

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