同僚との会話から見えた「これから」
夕方のオンライン会議が終わったあと、少しだけ息を抜くように、同僚と雑談をしていた。
モニターの向こうで、カップを手にした同僚がぽつりと言った。
「もし会社がなくなったら、どうする?」
軽い冗談のように聞こえたけれど、その一言が心に残った。
笑って受け流したつもりでも、胸の奥で小さく波が立つ。
AIの進化、リモートワークの定着。
ここ数年で、IT業界の景色は大きく変わった。
一見、便利で柔軟になったように見えるけれど、
安定という言葉はいつの間にか遠くなっていた。
在宅勤務に慣れてきた今も、
“会社にいる”という感覚はもう薄れている。
朝、ログインすれば瞬時に職場が立ち上がり、
夕方、画面を閉じれば静かな自宅へ戻る。
椅子の軋む音も、湯気の立つ音も、全部ひとりきり。
この静けさは好きだ。
でも時々、現実と少しだけズレている気がする。
誰とも言葉を交わさない日、
「もし明日、この仕事がなくなったら?」という想像が
ほんの少し、背筋を冷たくする。
40代を迎えたいま、
“本業だけに頼らない生き方”は現実的なテーマになった。
でも、焦っても何から始めればいいのかわからない。
資格? 副業? 転職? どれもすぐには答えが出ない。
そんなとき、ふと浮かんだのは手帳のことだった。
私が毎日書いている“ひとりごと”のページ。
未来の計画よりも、今日の心を描くノート。
そこに、小さな指針のようなものが隠れている気がした。
手帳に書く“ひとりごと”が、私を導く
朝の家事をすべて終えたあと、
仕事が始まる30分前。
家の中にようやく静けさが戻り、
淹れておいたコーヒーの香りが漂う。
私はその時間を、手帳と過ごす。
仕事でも家庭でもない、
誰の期待にも応えなくていい“あいだの時間”。
コーヒーをひと口飲んで、
深呼吸するようにペンを走らせる。
書くのは、ほんのささいなことばかりだ。
「眠れなかった夜」
「気圧のせいで頭が重い」
「でも朝の光がやさしかった」
誰に見せるわけでもない。
それでも、書き始めると心がほどけていく。
自分の中に溜まっていた“気”が、
ゆっくりと巡りはじめる。
東洋医学でいう“滞り”が解けていくような感覚。
手帳は、私にとって呼吸を整える場所になっている。
何も解決しなくてもいい。
“書く”という行為そのものが、小さな養生なのだ。
書き終えるころには、コーヒーも少し冷めている。
でもその冷たささえ、「そろそろ仕事の時間だよ」と
やさしく背中を押してくれる。
不調は「治す」より「付き合う」もの
最近の私は、毎日どこかが違う。
頭痛、めまい、生理不順、そして気分の浮き沈み。
病気というほどではないけれど、
確かに不調を感じる日が増えた。
もしかしたら、更年期のはじまりかもしれない。
けれど、もう“治す”より“付き合う”でいいと思っている。
40代の体は、若いころのようには戻らない。
けれど、ゆっくりなら整っていく力を持っている。
無理に抗わず、流れに寄り添う。
そんなふうに、自分の中のリズムを信じてみる。
東洋医学では、体と心はひとつの流れとされる。
体の不調は心のサインであり、
心の停滞は体に現れる。
だから、私の手帳には体と心の両方が並んでいる。
「今日は頭が重い」
「気分が沈みやすい」
「柑橘の香りを嗅いだら少し落ち着いた」
その積み重ねが、私にとっての健康の地図になる。
完璧じゃなくてもいい。
不調と共にあることを受け入れられたとき、
私はやっと“自分の体を信じる”ことができた。
書くことで“まるごと”の自分を見直す
私は、不調を“治すため”に記録しているわけではない。
どちらかといえば、“見える化”したいのだと思う。
頭の中でぐるぐるしているモヤモヤを、
言葉にして紙に落とすと、少しだけ落ち着く。
見えない不安に輪郭がつき、
「これが私の不調なんだ」と認められるようになる。
誰かに話すより、まずは自分に伝える。
「今日はちょっと無理そうだね」
「昨日より気持ちは軽いよ」
そんなふうに手帳の中で自分と対話する。
東洋医学が体と心を切り離さないように、
私は“心身まるごと”で書く。
気圧、月経周期、食欲、気分——
全部が一つの流れの中で動いている。
良い日も悪い日も、どちらも自分。
書くことは、そのどちらも抱きしめる作業。
未来を整えるためではなく、
今の自分をちゃんと見つめるために。
それが私の“書く養生”になっている。
静かな声を届けたい
手帳を書くようになってから、
少しずつ「自分は自分でいい」と思えるようになった。
またこの不調だ、と気づけば、
無理をしないように過ごす。
それだけで、少し心が優しくなる。
以前は、体調が悪いと焦っていた。
“頑張らないと”と自分を叱っていたけれど、
今は「今日は休もう」と言えるようになった。
その変化が、私にとっての一番の成長かもしれない。
手帳の中に積もる言葉たちは、
誰かに見せるためではない。
けれど、その静かな記録が、
いつか同じように揺らぐ誰かの支えになるかもしれない。
私は薬剤師であり、和漢薬膳師でもある。
けれど今、私が伝えたいのは
専門知識よりも“実感”に近い。
不調を理解し、認め、整えていくこと。
それを言葉にして、同じ世代の女性たちに届けたい。
声を張り上げなくてもいい。
静かな言葉でいい。
でも確かに届く文章を書いていきたい。
手帳を開くたび、心が少し整う。
どんな働き方を選んでも、
自分を見つめる時間だけはなくしたくない。
今日も、淡々と書き続けていこう。
そしてまた明日、少しだけ新しい自分に出会えるように。
今日も小さな養生を。