
「仕事に行きたくない」が続くとき、心の中で起きていること
在宅勤務の朝は、
外に出るわけでも、満員電車に揺られるわけでもない。
それなのに──
家事を終えて、PCに手を伸ばす瞬間だけは胸がずしりと重くなる。
朝9時の始業に合わせて、
15分前くらいにパソコンを開く。
その一瞬で、心のどこかにふっと影が落ちる。
「あぁ、今日もだめだな」
「気持ちがついてこないな」
仕事に“行く”という行為が消えた分、
気持ちの逃げ場もなくなって、
むしろ精神的な距離は近くなりすぎてしまったのかもしれない。
仕事が嫌いなわけじゃない。
在宅で働ける環境は、いまの私にとって本当に助かっている。
家事や子どものことに追われる暮らしの中で、
この働き方は大切にしたいと思っている。
それでも、朝のPCを開く瞬間に漂うあの重さは、
いつの間にか日常の一部になってしまった。
なぜこんなにも気持ちがついてこないのか。
答えは、じわじわと見えている。
たぶん──
会社の方針が、もう自分とは噛み合わなくなってきている。
効率やデータ、成果を中心に動く職場の空気。
男性が多いチームに流れる、あの独特の温度感。
同じ場所で働いているのに、
どこか自分だけが“異物”になったような感覚が抜けない。
それは誰かに言われたわけじゃない。
明確なトラブルがあったわけでもない。
ただ、日々の小さな違和感が
静かに積み重なっていっただけ。
「このまま続けていいのかな…」
そう思う瞬間は、最近はもう数える必要もないほど増えた。
でも、すぐに辞められるわけじゃない。
子どももいる。
生活もある。
簡単に環境を変える勇気なんて出せない。
“辞めたいのに動けない”という心の状態は、
怠けているわけでも、優柔不断なわけでもない。
ただ、現実と気持ちのあいだで
心が静かに疲れているだけなんだ。
始業前のパソコンの光が、
ふっとまぶしく感じる朝。
その影には、
たぶん誰にも気づかれないほどの小さなサインが隠れている。
仲間がいなくなった職場で、心がざわつく理由
同じメンバーで長く働いてきた職場で、
気づけば、まわりが少しずついなくなっていた。
退職した人。
異動した人。
キャリアを変えた人。
理由はそれぞれ違うのに、
“決断して出ていった”という点だけは、
みんなに共通していた。
気づけば、
あの頃一緒に頑張っていた仲間が
ひとり、またひとりと消えていく。
その変化を見るたびに、
胸の奥がふっと落ち着かなくなる。
「わかるよ、辞めたい気持ち。」
「私も同じように感じている。」
そう思う反面、
動けない自分だけが取り残されていくような感覚がある。
みんなが“外へ”向かって歩きはじめた中で、
自分だけ“足踏み”しているような気持ち。
でも、その足踏みにはちゃんと理由がある。
子どもがいること。
生活の基盤を変えられないこと。
在宅勤務という働き方へのありがたさ。
そして、今の環境が“悪いわけじゃない”という複雑さ。
辞めたほうがいいのかもしれない。
でも、辞めたあとどうすればいいのかは想像できない。
心だけが前に進みたがって、
現実は立ち止まっている。
そのズレが、胸のざわつきになる。
職場のチャットが静かになった日も、
オンライン会議で見慣れない顔が増えた日も、
ふとした瞬間に思う。
「あの空気感、もう戻らないんだな。」
人は環境が変わると、
仕事そのものより“空気の違い”に疲れることがある。
以前は素直に意見を言えた仲間がいた。
困ったときに声をかけられる人がいた。
その安全な場所がなくなったとき、
職場は急に“別の場所”になる。
心がざわつくのは、弱さじゃなくて、
ただ環境が変わっていくことへの自然な反応。
変化に置いていかれる寂しさ。
まだ動けない現実。
どちらも、そのままの自分。
そのあいだで揺れながら、
今日もパソコンの前に座っている。
辞めたほうがいいとわかっていても動けない“現実の壁”
「辞めたほうがいいのかな」
そう思う瞬間は、日に日に増えている。
会社の方針に共感できなくなってきたこと。
男性ばかりの雰囲気に馴染めないこと。
仲間がいなくなり、以前の空気が戻らないこと。
頭ではわかっている。
今の環境は、自分の心ともう噛み合っていないのだと。
それでも、すぐに動けない理由がある。
それは、怠けでも弱さでもなくて──
ただ“現実”がそこにあるから。
まず、生活。
子どもがいて、家のこともある。
収入が急に変わるのは、どうしても怖い。
どこかに不安の種を抱えている40代にとって、
“仕事を辞める”という選択は、
気持ちだけで決められるほど軽いものではない。
それに、在宅勤務という働き方。
これは私にとって、
心も身体も守ってくれている大切な環境。
外に働きに出るとなったら、
きっと今よりも負担は大きくなる。
この環境を手放す勇気が、正直まだ持てない。
辞めることで得られる自由もある。
でも、失うものも確実にある。
その天秤は、誰かが決めてくれるものじゃなくて、
自分でゆっくり揺らしながら答えを探すしかない。
だから、動けないのは当然のこと。
“辞めたいのに辞められない”は矛盾じゃなく、
今の自分にとって自然な状態なんだと思う。
心は前に進みたがっているのに、
現実が足に重りをつけたまま。
そのズレが、毎日のモヤモヤを生む。
でも、決して無駄な時間ではない。
“動けない時期”にも意味があって、
その間に心はゆっくり準備をしている。
焦らなくていい。
動けないときは、動けないままで。
自分のペースで、
答えに近づいていけばいい。
動けない自分を責めないで。心が出している“ストップのサイン”
「辞めたいのに動けない」
そんな状態が続くと、
自分がものすごく弱くなったような気がして、
つい心のどこかで自分を責めてしまう。
けれど、最近わかったことがある。
動けないときって、心が“ちょっと待って”と静かにブレーキをかけているだけなんだ。
それは甘えでも怠けでもなくて、
心理学的にも“自然な反応”らしい。
大きな環境の変化を前にすると、
人は無意識に慎重になる。
“現状維持バイアス”と呼ばれるもので、
脳が“これ以上疲れないように”守ってくれている。
私も、会社の方針や職場の空気に
心がついていかなくなっていることは
ずっとわかっていた。
でも、在宅勤務という環境は手放したくなかったし、
子どもの生活のことを考えると決断が重くなる。
「辞めたいのに、決めきれない」
その揺れは、意志の弱さじゃなくて、
生活と心のバランスを必死にとっている証拠なんだと思う。
疲れているときは判断力も落ちるし、
未来を決めるエネルギーも湧いてこない。
だから、動けない時期があって当然だ。
動けない私は“ダメな私”じゃない。
ただ、自分を守るために立ち止まっているだけ。
そう思えたとき、
少しだけ胸の奥がほぐれた。
決断って、
意気込んだ瞬間にできるものじゃなくて、
心の準備ができたときにそっと訪れるもの。
だから今は、
焦らず、責めず、
立ち止まっている自分をそのまま受け入れてあげたい。
紅葉の色に気づいたとき、心はもう答えを知っていた
ふと窓の外を見ると、
木々の葉がゆっくり色づきはじめていた。
赤と橙のあいだのような、
夕暮れを少しだけ溶かしたような色。

毎日バタバタと過ぎていく中で、
季節の変化に目を向ける余裕なんてなかったのに、
その日だけは紅葉の色が胸に引っかかった。
ああ、季節は変わるのに、
私はずっと同じ気持ちの場所に立ち止まっているんだ──
そんな思いが、
落ち葉が地面に触れるみたいに
静かに心に降りてきた。
辞めたい気持ちも、
動けない現実も、
どちらも自分の中の本当の声で。
どちらかが正しくて、どちらかが間違いなわけじゃない。
ただ、紅葉の色を見つめながら思った。
変わることそのものは、そんなに特別じゃないんだ。
自然と同じように、
人の心も、ゆっくりと少しずつ変わっていく。
“辞める・辞めない”という二択じゃなくて、
そのあいだにある揺らぎも含めて、
いまの自分なんだと思う。
葉っぱが一気に赤くなるんじゃなく、
じんわりと色を変えていくように、
私の気持ちもほんの少しずつ形を変えはじめている。
心の奥では、
もう答えに近い場所まで来ているのかもしれない。
それを急いで言葉にしようとすると、
どこかで無理が出てしまうから、
今はただ、
“変わりつつある色”を眺めていればいい。
季節が教えてくれることはいつも同じ。
焦らなくていい。
変わるときは、ちゃんと自分でわかる。
そのための時間を、
大切に抱えながら生きていけばいい。
今日も小さな養生を。
Wrote this article この記事を書いた人
ミカ
手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。