休むことに罪悪感を感じてしまう日は、どうすればいい?|40代からの“上手な休み方”

休むことに罪悪感を感じてしまう日は、どうすればいい?|40代からの“上手な休み方”

休みたいのに休めないのは、なぜ?

「やることがまだあるから休めない」
そう思った瞬間、胸の奥がざわざわと波立つ。

本当は、体も心も限界に近い。
一度でいいから、深く深呼吸をしたい。
何も考えずにふとんに沈み込みたい。
それなのに、いざ立ち止まろうとすると急に不安が襲ってくる。

──休んでしまっていいの?
──今止まったら、あとで大変になるんじゃない?
──私だけ楽をしているみたいで申し訳ない。

休むはずの時間に、
休めない理由ばかりが浮かび上がってくる。
そして、その声に押されて、また動いてしまう。

40代になると、
家庭、子ども、仕事、家事…
背負うものが増えていく。
自分の感情よりも、周りの状況が優先になってしまう。

「やることがまだあるから休めない」
という言葉の裏側には、
誰かの期待を裏切りたくない気持ち が潜んでいる。

休むことが、
怠けや逃げのように感じてしまう。
毎日を走り続けることが当たり前になりすぎて、
止まり方を忘れてしまったのだ。

でも、考えてみてほしい。

“やること” は、この先ずっと終わらない。
洗濯も、食事も、メールも、仕事も、
片付いたと思えば、またすぐ次が生まれる。
やるべきことの波は、途切れず押し寄せてくる。

そんな世界の中で、
休むことに罪悪感を持ってしまうのは当然なのだ。

休むことが、
「やらなきゃいけないことをサボること」
ではなく、
「これ以上崩れないために必要な行為」
だと捉えられたら、
少しだけ心が軽くなるのではないだろうか。

休めないのは、
弱いからではない。
ずっと強くあろうとし続けてきたからだ。

だからこそ、
休みたいのに休めない自分を責めないでほしい。

休むことにも、
止まることにも、
練習が必要だ。

そして、練習は
今日、この瞬間からでも始められる。

予期せぬ“空白の時間”が生んだ戸惑いと本音

息子がインフルエンザで寝込んだのは、水曜日だった。
学校からの連絡を受け取ったとき、
胸の奥がずしんと沈むような感覚があった。
その日から、私は緊張したままの数日間を過ごすことになった。

熱は上がったり下がったりを繰り返し、
薬の時間、食欲、眠りの深さ、
一つひとつに心が反応する。
夜になると、寝息の変化が気になって眠りが浅くなる。
ソファでうとうとしながら、
何度もカーテンの隙間の光で朝を迎えた。

そして土曜日。
本当なら、息子はバスケットの練習試合に出るはずだった。
私も、その予定に合わせて一日を組んでいた。
“何時に出て、どこへ行って、どれくらいの時間になるか”
頭の中には、いつも通りの段取りが並んでいた。

けれど、その予定は静かに消えていった。
まだ熱が下がりきらない息子の顔を見たとき、
胸の奥で小さくため息のようにこぼれた言葉は、

「あぁ。どうしよう。」

心配と、焦りと、疲労と、
どれとも言い切れない重たい気持ちが混ざり合って、
体の力がふっと抜けた。

予定が消えたのに、解放感ではなく、
静かな戸惑いが広がった。
時間ができたはずなのに、
それを“休む”ために使うことができなかった。

頭の中ではずっと、
「やることがまだあるから休めない」
という言葉が渦を巻いていた。

本当は、心がいちばん疲れていた。
息子の体温計の数字に左右される数日間の緊張で、
私自身の呼吸が浅くなっていることに、
気づかないふりをしていた。

予定がなくなることで、
自分の心の状態がくっきり浮き上がる。
空いた時間の静けさの中に、
自分の不安や責任感や弱さを見つけてしまう。

だから、余白が怖くなる。
だから、休めなくなる。

その瞬間、私は理解した。
休めないのは、やることが多いからではなく、
気持ちを置く場所がどこにもなかったからだ
と。

40代は、休息にも“練習”が必要な時期

食事をあまりとらない息子の様子を見るたび、
胸の奥がぎゅっと縮むような気持ちになる。
熱が下がりきらず、
咳が苦しそうに続く姿を見守る時間は、
体より心を削っていく。

看病は、ただそばにいるだけのように見えて、
本当は、その小さな変化一つひとつに
全神経を注いでいる。

熱は何度あるのか。
水分は足りているのか。
呼吸は苦しそうではないか。
ちゃんと眠れているか。

その間、
自分の心はずっと走り続けている。
たとえソファに座っていても、
心臓だけは疲れを許してくれない。

だからこそ、
休みたいのに休めなくなる。

「やることがまだあるから休めない」
という言葉の裏側には、
誰かを守らなければという強い責任感 がある。
そして、その責任感こそが、
40代の女性たちが背負い続けてきた重さだ。

若いころは、
体を休めれば心も元気になった。
眠れば回復した。
一晩経てば全部リセットできた。

けれど40代になると、
“心の疲れ”の方が先に限界を迎える。
責任の大きさも、守るものの多さも、
誰かの気持ちを抱える力も、
若いころとは比べ物にならない。

だから、休むことは
“自然にできること” ではなくなる。

休むにも、
止まるにも、
練習が必要になる。

それを怠けとか弱さと呼ぶ必要はない。
むしろ、これまでずっと頑張ってきた証拠だ。

休めない自分を責めるのではなく、
“休む力を育てていく時期”に入ったのだと
静かに受け止めること。

それが、
私たち40代の新しいスタートラインなのだと思う。

上手に休むための“小さな回復アクション”

「気が張らない感じになりたい。」
その思いは、休めない自分を責めるのではなく、
本当は深く休みたいという心のSOS だ。

明日の予定に遅れないように、
寝坊しないように、
迷惑をかけないように。
そう考えるだけで、心の中の緊張は抜けなくなる。

布団に入っても、
頭の中では次々と予定が流れ、
“ちゃんとしなきゃ” という声が鳴り止まない。
その声に追われている限り、
体が横になっていても、心は休めていない。

だから、休みたいのに休めない。

でも、休むことは一気にはできない。
必要なのは、
大きく休むことではなく、小さく回復すること。

休息は、
時間を確保することではなく、
緊張を少しずつほどく行為だ。

今日からできる “小さな回復アクション”

完璧に休めなくていい。
たった数分の積み重ねが、心を救ってくれる。

・目覚ましをかけない朝を一度つくる
→「起きなきゃ」という緊張から心を解放する

・5分だけ目を閉じて深呼吸する
→ 呼吸を整えるだけで、自律神経が静まる

・タスクを3つに絞る
→ “全部やらなきゃ”の圧力から抜け出す

・温かい飲み物をゆっくり飲む
→ 体の緊張より先に、心がゆるむ

・布団に横になり、体を預ける
→ 「動かない時間」を体に思い出させる

・手帳に3行だけ気持ちを書く
→ 心の置き場をつくることで、思考の緊張がほどける

どれも簡単に見えるけれど、
心が張りつめた日には、
この小さな行為が大きな回復になる。

休息は、
「時間ができたらやるもの」ではなく、
今の自分を守るために差し込むもの。

自分のために、
数分の余白を許すこと。
それだけで、
今日の不安と明日の私が救われる。

休むことは、未来の自分を守る“養生”

休むことは、甘えではない。
そして、誰かに説明したり、許可を求めたりする必要もない。
休息は、
私たちがこれからも生き続けるために欠かせない
大切なメンテナンス だからだ。

40代になると、
体と心の回復速度が変わる。
無理をすれば乗り越えられた20代、30代とは違い、
気力だけで走り続けることができなくなる。
だからこそ今は、
自分の限界に気づき、
それ以上無理をさせない技術が必要になる。

休むことは、
弱さではなく、
続けていくための力 だ。

息子がインフルエンザで苦しそうにしていた数日間、
私は、自分の心がいつのまにか
すり減っていたことに気づいた。
食べられない姿を見て、
熱が下がらない数字に一喜一憂し、
夜中の咳に胸が締めつけられるたび、
自分の呼吸が浅くなっていくのを感じた。

心が疲れていたのに、
「やることがまだあるから休めない」と
自分に言い聞かせ続けていた。

でも、
休めないまま走り続けてしまうと、
心の灯りは簡単に消えてしまう。

だから、立ち止まっていい。
小さく休んでいい。
不完全でもいい。

休むことは、
今日の自分を守るだけでなく、
未来の自分を救う行為なのだから。

今日の夜、
私は 手帳を開く

完璧な文章を書かなくてもいい。
たった3行でもいい。
「今日はしんどかった」
「心が疲れていた」
「少しだけ休みたい」

その言葉をページにそっと置くだけで、
張りつめていた心がゆるんでいく。

手帳の余白は、
誰にも触れられない場所。
誰かの期待や役割を離れて、
自分だけに戻れる静かな場所。

その余白に、
今日の重さをそっと手放す。

休むことは、生きる力だ。
止まることは、前に進む準備だ。

だから、
やることがまだあっても、
罪悪感を感じても、
立ち止まっていい。

休んでいい。
休むことを、恐れなくていい。

今日も小さな養生を。



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Wrote this article この記事を書いた人

ミカ

手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。

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