
早朝4時半のスタート。40代の体にのしかかる“朝の重さ”
朝4時半。
アラームが鳴った瞬間、体がふっと沈むように重かった。
昨日も朝5時起きで試合。
今日もまた早朝から2時間かけて会場へ向かわなければならない。
その現実が、全身にじわりと広がっていく。
40代になると、
こういう“連続の早起き”が本当に堪える。
睡眠でリセットされるはずの疲れが、
薄い膜のように体に残り続ける。
しかもこの日は、眠りも浅かった。
知らない土地まで2時間運転するプレッシャーが胸の奥でざわついて、
布団の中でもずっと気持ちが落ち着かなかった。
「ちゃんとたどり着けるかな?」
「間に合わなかったらどうしよう」
そんなソワソワが心の隙間に入り込んで、
眠りの深さを奪っていった。
早朝の寒い空気の中、車のエンジンをかける。
外はまだ真っ暗で、
ハンドルを握った手にほんの少し力が入る。
向かう先は、雨の降る体育館。
冬の体育館は冷たくて広くて、
立っているだけで体温が奪われていくような場所。
そんな場所にこれから数時間いるのかと思うと、
体の芯がさらに重くなる。
でも、胸の奥で一番強く鳴っていたのは、
“眠さ”でも“寒さ”でもなくて──
「間に合うかな?」
その一点だった。
遅刻しちゃいけない。
息子の大事な試合だからこそ、
絶対に抜かりなく行きたい。
朝6時前の暗い道を走りながら、
時間と闘うように胸がドキドキしていた。
40代になると、
体の疲れと心の緊張がリンクする。
どちらか片方だけならまだ頑張れるけれど、
両方が重なると、早朝のスタートは一気にしんどくなる。
でも、それでも私たちはハンドルを握り、
眠い目をこすりながら道を進む。
大切な誰かのために、
今日も早朝の光を迎えにいく。
雨と寒さの体育館で、母の心がざわついた理由
会場に着いた頃には、空はすっかり雨。
まだ朝の冷たさが残る時間で、
体育館の前についた瞬間、
ひやりとした空気が肌の上を滑っていった。
体育館って、どうしてあんなにも“寒さ”を連れてくるんだろう。
外よりも冷たい日さえあって、
床からじわじわと冷えが上がってくる。
コートを羽織っていても肩がすくむほどの、
あの独特の冷たさ。
早起きで弱った体に、
その寒さが静かに追い討ちをかけてくる。
子どもたちは元気に走り回っているのに、
親はじっと立って見ていることが多いから、
動かない分だけ余計に冷える。
冷えが体の奥を掴むように広がって、
気持ちまで縮こまってしまう。
息が白くなりそうな寒さの中で、
胸の奥がざわざわしていた。
「今日は、勝てるのかな」
「また転ばないといいな」
「ケガしないで帰ってきてほしい」
そんな小さな心配が、冷たい空気の隙間に入り込んで、
余計に心を揺らしていく。
試合前、子どもがチームの輪に入っていく後ろ姿を見ながら、
どこかで“置いていかれるような寂しさ”も感じていた。
親ができることは、
ただ寒い体育館で黙って見守ることだけ。
それがもどかしくて、
でも尊くて、
胸の奥だけが静かに忙しかった。
雨の音が屋根に落ちるリズムも、
なんだか気持ちを落ち着かせてくれない。
体育館の独特の反響音に混ざって、
自分の鼓動だけがやけに大きく聞こえる。
ああ、きっとこれは“緊張”なんだ。
子どもが頑張る日には、
母もまた別の場所で戦っているんだと思う。
寒さのせいか、
早起きの疲れのせいか、
胸のざわつきは消えなかったけれど、
それでも私は今日もベンチ横に立っていた。
愛おしい背中を、
ただ見つめるために。
チームファールとフリースロー。負けを決めた一瞬と息子の涙
試合は、最後のクォーターに入っても接戦のまま。
どちらが勝ってもおかしくない緊張感が続いていた。
そして残りわずか、
ほんの数秒というところで、
その瞬間は訪れた。
息子がディフェンスに入ったとき、
相手選手とぶつかり、審判の笛が鋭く響いた。
「ファール!」
その言葉を聞いた瞬間、
息子は一瞬だけ固まったように見えた。
今日の息子にとっては “初めてのファール”。
けれどチームとしては違った。
このプレーが、4Qでの5つ目のファール。
つまり──
自動的に フリースロー が与えられる。
バスケのルールは時に残酷だ。
一人の1回目のファールでも、
チーム全体の累積で“重大な一撃”になってしまうことがある。
息子はその意味を理解していた。
フリースローラインに相手選手が立つのを、
息を飲んで見つめていた。
体育館中が静まり返り、
ボールが指先を離れた瞬間、
私の心臓も一緒に跳ねた。
ボールは真っすぐリングに吸い込まれた。
その1点が勝敗を決めた。
ホイッスルが鳴った瞬間、
息子は顔をゆがめて、
その場で大きく泣き崩れた。
涙が止まらない。
肩を揺らして、声を押し殺すように泣いていた。
「自分のせいで負けた」
その思いが、
小さな体の中でどれほど重かっただろう。
本当は息子一人のせいじゃない。
試合はひとつのプレーで決まるものじゃない。
チーム全員で戦った結果だ。
それでも、
息子はその“最後の笛”を
まっすぐ自分の胸に受け止めてしまった。
悔しい。
苦しい。
でも、その涙は本気で向き合った証で、
一歩先へ進む力にもなる。
母として胸が痛むほどの涙だったけれど、
同時に、
「この悔しさはきっと成長に変わる」
そんな確信もどこかにあった。

悔し涙にどう寄り添う?“正解の言葉”はなくていいと気づいた瞬間
試合が終わってベンチに戻った息子は、
しばらく顔を上げることができなかった。
涙でぐしゃぐしゃになった目元を手で覆い、
肩を震わせながら泣き続けていた。
声をかけたかったけれど、
その場でかける言葉が見つからなかった。
「大丈夫だよ」と言えば、
本気で悔しがっている気持ちを
軽く扱ってしまう気がしたし、
「よく頑張ったよ」と言えば、
今の息子には届かないような気がした。
親は、
子どもの涙に対して“何か言わなきゃ”と焦るけれど、
本当はそんなに急がなくていいのかもしれない。
悔しさは、
すぐに慰めてあげるよりも、
本人がちゃんと味わうことで
次の力に変わっていくものだから。
息子の隣にしゃがんで、
ただ背中にそっと手を添えてみた。
言葉よりも、
温度だけを伝えるように。
少しして、息子がぽつりと話した。
「俺のせいで負けたんだ。」
その一言が胸に刺さって、
苦しくなるほど愛おしかった。
私は深呼吸をひとつして、
やっと言葉を選んだ。
「一人のせいで負ける試合なんて、ないよ。」
それは“励まし”でも“慰め”でもなく、
ただの事実。
息子の努力を軽くもしない。
責任を押し返しもしない。
それでも息子は黙ったまま、
ゆっくり涙を拭いた。
悔しい気持ちは、
誰にも奪えないからこそ、
時間が経つとちゃんと形を変えていく。
子どもが泣いたとき、
親ができることは、
気の利いた言葉を探すことじゃなくて、
“隣にいてあげること”。
悔しさに寄り添う距離は、
言葉ではなく、
沈黙と温度が決めるのだと思う。
悔しさは次の力になる。40代の母が見つけた“寄り添う距離感”
試合会場を出て、
外の冷たい空気を吸い込んだとき、
息子の目はまだ少し赤かった。
でも、
泣きじゃくっていたあの瞬間とは違う。
悔しさの熱が少し落ち着いて、
代わりに静かな“余韻”が残っているように見えた。
子どもの心は、
泣いた分だけ確かに強くなる。
その姿を何度も見てきたから、
私はただ横を歩くだけにした。
40代になって気づいたことがある。
“寄り添う”って、
励ますことでも、
言葉を並べることでもないんだということ。
落ち込む背中と同じ速度で歩いて、
同じ景色を見て、
沈黙の中にいること。
それだけで、
子どもは少しずつ気持ちの整理を始められる。
帰りの車の中で、
息子が窓の外を見たまま
ぽつりと言った。
「次は絶対、勝ちたい。」
悔しさに向き合えたからこそ出てくる言葉。
涙を流しきった後のまっすぐな火のような気持ち。
私は「うん」とだけ返した。
それ以上の言葉は必要なかった。
今日のファールも、
最後のフリースローも、
すべて息子の中で糧になる。
子どもの成長って、
大きな成功よりも、
こうした小さな“痛み”から始まることのほうが多い。
母として胸がぎゅっとなるけれど、
その痛みもまた、
子どもと一緒に成長している証だと思いたい。
寄り添う距離は、
手を握るほど近くてもいいし、
黙って隣に立つ程度の遠さでもいい。
大事なのは、
その子のペースに合わせること。
悔しさは、ちゃんと未来の力になる。
その過程を、急かさず、奪わず、
ただ見守っていけばいい。
今日も小さな養生を。
Wrote this article この記事を書いた人
ミカ
手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。